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2024年4月16日 (火)

ミニマリストにはなれないみたい。

ミニマリスト…意味はちゃんと知らないけど。

断捨離して家もメンタルもスッキリさせてシンプルに生きようとする人って感じかな。

勝手な解釈…。

 

 

この1月から家の整理に精を出してた。

大体、例年、春めいてきた3月ごろから私の活動期に入ってくるんだけれど。

今年は転倒でろっ骨を痛めて年末に大掃除ができなかった分、年明けから掃除、整理整頓モードになった。

 

 

しかも、母の1週間の入院で、拍車がかかり、主に母が管理していた場所を整理整頓、この機会に何があるのかを把握した。

 

それと、私の管理している場所の断捨離。

といっても、バンバン捨てるわけではなく、あらたな収納スペースを確保するために使っていないものを整理したくらい。

 

 

なので、この4か月、これは捨てようか、いや置いておこうかと悩むことが多かった。

 

せっかく購入したのに、捨てる必要なんてないよね。

でも、使わないまま10年経ってるよなあ~と。

 

モヤモヤ。。。。

 

この悩むことが意外にストレスになる。(笑)

 

 

なぜ、もう使わないのに置いておきたいんだろう…。

 

ずっと考えていたんだけれど、多分、こうなんだ。

 

たとえ見えない押し入れの奥にあっても、長い時間を重ねて、家に馴染んでしまってる。

それを捨てることは、家を構成してるものをその場所からもぎとってしまうような喪失感を感じてしまうから。

 

だから、置いておいてもいいじゃないかと思ってしまう。

 

たくさんのものと一緒に年を重ねていて、その景色の中で自分の心のバランスを取っているような気もする。

ものがあることも、自分の心にとって大事なことなのかもしれない。

 

 

そして、さらにこう思う。

 

 

どうせ、私が死んだら、この家も古いので取り壊され、家の中のものも根こそぎ廃棄される。

あれも、これもすべて廃棄。

 

今、捨てようが、先になって廃棄されようが同じことじゃないか、と。

 

 

自分がそういう喪失感を抱きつつ、馴染みのものや家具をゴミとして出す必要はないのかもしれないと。

捨てるという行為には罪悪感もついてまわる。

 

 

そういうのは自分の死後に放り投げてしまってもいいんじゃないかと。

 

自分には馴染みのものであって、自分以外の他者にはそんな馴染みはない。

大事なものも他者にとってはゴミにしか見えない、そんなもの。

 

終活してキレイにしようが、ゴッチャにしてようが、業者さんにとってはゴミが多いか少ないかの違いだけだしね。

 

それで、もうストレスを貯めるようなことは考えず、このままでいいやとなった。

 

2か月ほど、考えて断捨離の徹底は断念。

その後は、新しいものを入れるスペースを確保するために、使わない古いものをチョコチョコと捨てる、を繰り返してる。

 

 

当初、YouTubeでミニマリストさんたちの動画をよく見ていて、シンプルに生きようとバンバン捨てている姿を見て、自分でもやってみようとしたけど、私には向いてないという結論に達した。

 

 

そういえば、ミニマリストさんが実家に出向き、親のものを断捨離する動画が結構あるけれど。

親の終活を手伝うというコンセプトで。

 

娘にバンバン物を捨てられて泣きだす親御さんがいて。

 

私もどちらかというとこの親御さんのタイプだなと思った次第。(笑)

 

 

ミニマリスト、ちょっとあこがれもあったけど、私なんて凡庸なんでこんなもん。。。

 

家も私もゆっくり古くなっていく……それでいい。

 

 

それにしても、整理整頓が長引いてる。

もう今年は一年、ずっとこんな調子で過ごしてしまうのかもしれない。

 

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